(さ)りげなく、夏。
むかしむかし、
あるところに、おじいさんとおばあさんがいて、
おじいさんは、
山へ柴刈りに行ったわけなんだけれども、
少なくとも俺には、
「じゃ、ちょっくら柴でも刈りに山まで行ってくらぁ!」
なんて軽いノリで言っちゃえるほど、
山に行くなんてのは容易いことじゃなくて、
柴を刈るなんてのも容易いことじゃなくて。
で、
おばあさんも、
川へ洗濯に行ったわけなんだけれども、
少なくとも俺には、
洗濯物を抱えてえいさっ、なんつって川に入って、
中腰でゴッシゴシやり続けるなんてのは、
それもまたなかなか容易いことじゃなくて、
ましてや赤子が一人入っちゃうくらいのサイズの桃が流れてきちゃったりなんかして、
そんな重量物を洗濯物を手にしたまま抱え止めて、
そんで陸に上がっちゃったりなんてのはもぅ、想像するだに難儀なもので、
むかしむかしなら、
お爺さんやお婆さんが日常でできてたようなことを、
いったい現代人というものはなんと劣化してしまったのだろう、と思う。
そんなことをふと考えながら、
最近の毎日というのを考え起こしてみると、
いろんな人に会ったりなんかして、
いろんなことをしたりなんかして、
そんな感じで満足はしてはいるのですが、
ジムの浴室で頭を洗いながらふと我に返ると、
鏡に映る自分の、
だらしなくたるんだ脇腹の肉が、
それはもう情けなく、恨めしく、
鬱々たる自分を爆発させてしまいそうになるのです。
そうして一念発起して、何とかせねばと、
その時は今までにないくらいの決心をしたつもりでいるのですが、
なんだかんだでそれなりに満足した日々に、
こんなもんか、なんて思ってしまう情けない自分です。
昨夜久々に野狐禅を聴いてたので、
竹原ピストル風に文章を書いてみたよ★
ちなみにだいがいちばん影響を受けてる物書きさんは、
銀色夏生と、かなざわいっせいだよ。
だから何だよ。